バブル経済で

踊った建築産業


オープンシステムは、バブル経済が頂点へと達した時に生まれました。東京や大阪のマンション業者が、地方都市の米子にまで土地を物色に来ていて、それをゼネコンの営業がキャッチして、めぼしい土地をぶつけるのです。

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候補地が絞られると、そこにどのようなマンション建設が可能か、計画案を作成します。そして、投資額を算出し、収支は等を検討します。そのような仕事が、ゼネコンを通じて私の事務所に回ってきました。計画案の作成費用は無料で、実施が決定したら設計業務を受託するという条件でした。
 
ゼネコンの人や都会のマンション業者の人と、候補地を見に行くことも度々ありました。こんな地方都市の米子でも、マンション業者が欲しがるような土地は、すごい勢いで上昇しつつありました。「ここはいくら?」と聞かれると、地元の不動産会社が「坪50万円くらいです」とか答えます。私には随分高いと思える金額でも、「安~い!大阪じゃ、田んぼも買えない」というような返事が帰ってきました。
 
計画のほとんどは、ワンルームマンションを建てて、都会のサラリーマンに分譲するものでした。自ら住むことのないワンルームマンションを、都会のサラリーマンがなぜ買うかといえば、投資目的でした。中には、マンション1棟丸ごと買い求める資産家もいました。地方都市のワンルームマンションが、都会に住む者の投資対象になっていたのです。バブル経済とは、そのような時代でした。

土地が高騰しました。建設費も高騰しました。それでも配当のほうが大きいと、計算上成り立つ時代でした。不動産業界が踊り、金融業会が踊り、建築業界が踊りました。そして、多くの国民も踊りました。

国土交通省発表の資料を見ると、1982年ころから建築投資は急上昇し、1990年、1991年をピークに急下降していきます。建築投資を棒グラフに落としてみると、きれいな山の姿が現れます。左側の稜線は、頂上にいくにしたがって急になり、右側の稜線もほぼ対象形を描きます。右の稜線には小さな小山があります。1996年に消費税を5%に引き上げたときの駆け込み需要です。相模湾から眺める富士と同じ形です。
 
富士はこの世相をどう見ているのでしょうか。吉川英治が著した『宮本武蔵』という小説があります。その中で、富士を仰いで、武蔵は弟子の伊織にこう言いました。
 
「あれになろう、これになろうと焦るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人が極めてくれる」

若き日に読んだ小説『宮本武蔵』は、偉大な剣豪でも英雄でもなく、悩み苦しみながら剣の道を究めようとする、一人の青年でした。避けがたいと予期していた巌流佐々木小次郎との対決。小説は、勝者武蔵の次の言葉で終わります。
 
「波騒は世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水の深さを」
 



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